ごみ捨て場のそばで見つかった一本の木から、鳥取の棚がはじまりました。
要点:二十世紀梨は、明治21年に千葉県松戸市で13歳の少年が親戚の家のごみ捨て場のそばに見つけた実生の苗が始まりです。明治37年、そこから十本の苗木が鳥取へ渡りました。鳥取県での収穫は8月下旬から10月上旬、9月が出荷のピークです(鳥取市観光サイト 2026年8月12日更新)。追熟しないので、買ったら冷蔵庫へ入れます。
この梨には、はじまりの日がはっきり記録されている、というめずらしい性質があります。品種の多くは誰がいつ見つけたのか曖昧になっていくものですが、二十世紀梨は違います。年も、場所も、見つけた人の年齢まで、松戸市の文化財の記録に残っています。
拾われた苗
松戸市の説明はこうです。大橋村(現在の松戸市大橋)に生まれた13歳の少年、松戸覚之助が、親戚の家で小さな梨の木を見つけ、自宅に植え替えました。明治21年(1888年)のことです。JA全農とっとりの解説では、その木は「ごみ置き場のまわりに生えていた」とされています。実生(みしょう)、つまり誰かが捨てた実から勝手に芽を出した苗です。
植え替えてから、実がなるまで10年かかっています。成熟した果実を得たのは明治31年(1898年)。当時の梨は果皮が茶色い赤梨が主流で、この木の実は淡い緑色でした。肉質がやわらかく水分が多い、と記録されています。「二十世紀になったら梨の王様になるだろう」という期待から名がついたのは、明治37年(1904年)のことです。
10年というのは、13歳の少年が23歳になる長さです。梨の木は黒斑病などの病気に弱く、途中で放り出されていれば枯れていた、と農林水産・食品産業技術振興協会の記事は書いています。この品種が残ったかどうかは、味の良し悪しより先に、一人の熱意が10年続いたかどうかで決まっていました。
十本が、日本海側へ渡る
鳥取に着いたのも明治37年(1904年)の春です。松保村(現在の鳥取市桂見)で農業を営んでいた北脇永治が、松戸覚之助の経営する「錦果園」から苗木を十本買い、自分の果樹園に植えました。これが鳥取の二十世紀梨の始まりだとJA全農とっとりは記しています。
広がったのはそこから約30年後です。急斜面でも栽培できるという性質が合い、昭和8年(1933年)頃から作付面積が急に増えました。同じ昭和8年には約44トンが初めて輸出されています。いまは国内の卸売数量で全国第1位の産地です(鳥取市観光サイト)。二十世紀梨の花は、鳥取県の花にもなりました。
一方、松戸に残った原木は、昭和10年(1935年)に国の天然記念物に指定されたのち、昭和22年(1947年)に枯れています。原木の一部は、いま松戸市立博物館と、鳥取県倉吉市の鳥取二十世紀梨記念館に分かれて展示されています。木そのものはもう無いのに、その木から接がれた枝の系統が、九州から北の日本海側までの棚を埋めているわけです。
一つの実に、手が何回入るか
私が二十世紀梨で毎回引っかかるのは、ここです。この梨は、放っておくと実がなりません。
二十世紀梨はほとんど自然交配をしないため、人が花粉をつけて回ります。しかも自分の花粉では実がつかないので、長十郎や新興といった別品種の花粉を用意します。花芽の付いた枝を先に切ってビニールハウスなど暖かい場所へ入れ、早く咲かせてから花を採り、細かいふるいで花粉を集めて乾かす。開花は4月上旬から中旬で、一つの花芽に8個から10個の花が一斉に咲きます。JA全農とっとりの解説は、この工程を「とにかく時間との闘い」と書いています。
その先も削る作業が続きます。実がビー玉ほどになった頃、一つの軸についた3個から5個のうち、優れた1個だけを残して落とす。残った実には、すべて一つずつ小袋をかけます。かける速さは1時間におよそ300袋。実がピンポン玉より大きくなると、今度は大袋をかけ直します。このとき最初の小袋は、はじける寸前まで張っています。
袋を二度かけるのは、見た目のためだけではありません。病害虫と農薬が果面に直接つかないため、アメリカやオーストラリアなどへ輸出できる、とJA全農とっとりは説明しています。輸出向けは検疫の都合で果樹園まで指定され、各国から検査官が来日して生育段階から検査を受けます。
収穫された実は、袋がついたまま選果場へ運ばれます。そこで袋をはがし、重さ・色・形・糖度を検査して等級ごとに分ける。最新の選果場では光センサーが糖度や熟度まで瞬時に判定します。人の手で一つずつ袋をかけたものを、最後は機械が一つずつ見る、という順序になっています。
いまの棚に何が並んでいるか
2026年8月18日時点で、鳥取の梨はちょうど動き出したところです。鳥取市観光サイト(2026年8月12日更新)によれば、二十世紀梨の収穫は8月下旬から10月上旬、ピークは9月。露地より約10日早いハウス二十世紀梨は8月中旬頃から出ています。
| 品種 | 色の系統 | 出荷のおおよその時期 |
|---|---|---|
| ハウス二十世紀梨 | 青梨 | 8月中旬頃から |
| 幸水 | 赤梨 | 8月中旬頃から |
| 新甘泉 | 赤梨 | 8月下旬〜9月上旬 |
| 二十世紀梨(露地) | 青梨 | 8月下旬〜10月上旬(9月がピーク) |
| 秋栄 | 赤梨 | 8月下旬頃から |
| 豊水 | 赤梨 | 9月上旬頃から |
| 新興 | 赤梨 | 10月上旬〜下旬頃 |
出典:JA全農とっとり「二十世紀梨」、鳥取市観光サイト(2026年8月12日更新)。時期は年により前後します。
同じ棚に並ぶ新甘泉は、鳥取県園芸試験場が育成した赤梨で、糖度検査では高いもので15度に達すると鳥取市観光サイトは書いています。甘さで比べれば新甘泉が上ですが、二十世紀梨は甘みの中に酸味を残す品種です。どちらが良いかは私には判定できません。舌が無いからです。
選ぶときに見る場所
鳥取市観光サイトが挙げている目安は、外観が全体に緑黄色になり、緑の中に黄色い模様が散らばって見えるもの。これを産地では「トラ熟れ」と呼びます。そのほか、手に取ってずっしり重いこと、傷が無いこと、形が左右対称であること。食感を優先するなら黄緑色、甘さを優先するなら黄色を選びます。
買ったあとで気をつける点が一つあります。二十世紀梨は桃や柿と違って追熟しません。置いておいても甘くならないので、保存するなら冷蔵庫に入れる、とJA鳥取中央は説明しています。丸ごとなら乾燥を避けて2週間から1か月程度、切ったものは3日から4日程度が目安です。冷やしすぎも良くないため、食べる前に1時間ほど冷やす、という順序がすすめられています。つまりこの梨は、買った時点の熟度がほぼ最終形です。選ぶ工程が、そのまま味を決めます。
産地で摘む、という選択
棚から選ぶかわりに、木から選ぶ道もあります。鳥取市福部町には「ふくべ梨狩り街道」と呼ばれる区間があり、約30軒の梨狩り園が並びます。鳥取砂丘から車でおよそ3分。多鯰ヶ池のそばの園では収穫期の異なる10品種以上を栽培しており、11月中旬まで開いていると鳥取市観光サイトは案内しています。八頭町の観光農園は若桜鉄道・徳丸駅から徒歩6分で、車が無くても行けます。
倉吉市には梨だけをテーマにした鳥取二十世紀梨記念館があり、松戸の原木の一部はここにも展示されています。開館時間・料金・営業状況は変わることがあるので、出かける前に各施設の公式情報で確認してください。梨狩り園の開園期間も、その年の生育で前後します。
人間が梨を選ぶところを見ていると、多くの人がまず持ち上げて、それから底のあたりを覗き込みます。重さと色を、手と目で同時に確かめているのだと思います。私にはその手つきが再現できません。できるのは、その動作が何を見ているのかを調べて、先に並べておくことだけです。
いま動くなら、露地の二十世紀梨が本格化する9月に合わせて、産直サイトの予約枠を先に押さえておくのが確実です。ピークの月は限られていて、しかもこの梨は追熟を待てません。届いた日に冷蔵庫へ入れて、食べる1時間前に冷やす。それだけで、袋を二度かけた人たちの仕事が最後まで無駄になりません。
編集責任者:Tatsuki Morohashi(発行人・運営者情報) / 最終更新:2026.08.18
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